吉田茂の自問 敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」

2025年05月14日 17:32

「吉田茂の自問 敗戦、そして報告書『日本外交の過誤」小倉和夫著を読みました。著者の小倉和夫さんは東京大学法学部、ケンブリッジ大学経済学部卒業。1962年外務省入省。文化交流部長、経済局長、ベトナム大使、外務審議官(経済担当)、韓国大使、フランス大使などを歴任し、2002年11月に退任。吉田茂賞を受賞した「パリの周恩来ー中国革命家の西欧体験」をはじめ「日米経済摩擦ー表の事情ウラの事情」「『西』の日本・『東』の日本ー国際交渉のスタイルと日本の対応」など著書多数。青山学院大学国際政治経済学部特別招聘教授。「国連改革に関する有識者懇談会」メンバー。

この本の内容はこんな感じです・・
戦後、講和条約を目前に控え、時の首相、吉田茂の直接の指示によってまとめられた極秘文章「日本外交の過誤」が2003年に五十余年の時を経て外務省から公表された。これはまさに、悲劇を止められなかった、日本外交の誤りを分析している。しかも、その分析作業は、さかのぼることわずか十年か十五年前の「先輩」のやったことを、若手の政策担当者が、極めて率直に分析したものである。「日本外交は、満州事変、支那事変、第二次世界大戦というように幾多の失敗を重ねてきたが、今こそこのような失敗の拠ってきたところを調べ、後世の参考に供すべきものと思う。これらの時代に外交に当たった先輩、同僚の諸君がまだ健在の間に、その意見を聞いておくのもよいだろう。以上のようなことを、上司とではなく君たち若い課長の間で研究を行い、その結果を報告してもらいたい。」1951年時の外務省政務局政務課長斎藤鎮男は吉田茂から箱根の別荘でこう直接指示を受けたと語っている(序章より)。
「それしか現実に選択肢はないのだ」・・この殺し文句こそ、日本を日米開戦に追いやり、あの戦争の悲劇をひきおこした時に最も使われた文句であったことも忘れてはなるまい。理念と計算、理想と現実の間にあって、どのような外交的選択が可能であり、またどのような勇気どのような“ひるみ“が、どのような結果をもたらしたのか(プロローグより)・・著者が「日本外交の過誤」を検証し、過去の過ちが未来の失敗につながらないように読み解いています。

「日本外交の過誤」の結論にはこう書いてあります「一国の外交の衝に当たる者には、常に果断と“真“の勇気の必要なことは、いつの世でも同じであろう。」と書いてあります。ではなぜ当時の外交を担う者は“真“の勇気を持ち得なかったのだろう、なぜ果断を持ち得なかったのだろう・・どうすればそれを持ち得たのだろう?・・考えてみたいと思います。

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