毎年、終戦記念日近くになると戦争に関する本を1冊読むことにしているのですが、今年はあえて映画「火垂るの墓」高畑勲脚本・監督を観ました。高畑勲監督は、映画監督、アニメ監督、プロデューサー。1959年東映動画に入社。「太陽の王子 ホルスの大冒険」で長編を初めて演出した後、1971年からAプロダクションに移る。以後「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」などのテレビアニメを経て、宮崎駿監督とともに設立したスタジオジブリで監督作を手がけた。ちなみに高畑監督は1944年、9歳の時に岡山市で空襲に遭い、火の雨と猛火の中を逃げまどった体験をしている。
冒頭のシーンとラストシーンは非常に印象的なシーンであり、高畑監督こだわりのシーンではないかと思います。特に冒頭シーンは戦争孤児が駅構内で餓死していくことが日常として描かれていて、現代に生きるもの日常とのものすごいギャップが描かれています。Wikipediaによると本作品について「反戦アニメなどでは全くない、そのようなメッセージは一切含まれていない」。また、「本作は決して単なる反戦映画ではなく、お涙頂戴のかわいそうな戦争の犠牲者の物語でもなく、戦争の時代に生きた、ごく普通の子供がたどった悲劇の物語を描いた」と高畑監督は語っていたそうです。ごく普通の子供が戦争孤児となり、ごく普通の子供が防空壕で餓死し、ごく普通の子供が駅の構内で餓死していく・・・・一体、戦争の時代とはなんだったのだろうか。なんとか力を合わせて懸命に暮らしていこうとする兄弟2人の姿に共感することはできるのですが、それとは反対に登場する大人たちのセリフに違和感を感じます(現代の感覚とのズレを感じます)。もしかすると戦争の時代とは、大人たちが普通ではなくなってしまっていた時代なのかもしれません。ラストシーンでは、幽霊の兄弟2人が丘の上から現代の神戸の夜景を眺めるシーンが描かれており、高畑監督は「この物語は戦時中だけの話ではなく、現代にも続く」と語っていたそうです。この作品をあえてアニメ映画として世に送り出した意味をよく考えてみたいと思います。