落語

2020年05月28日 17:08

先日読んでいた、江戸とアバター(わたしたちの内なるダイバーシティー)池上英子&田中優子著に落語について面白いことが書いてありました。落語という芸能は一人で何人もの役を演じ分ける、世界でも珍しい芸能であり「アバター芸」ではないか。確かに、侍、御隠居、粗忽もの、与太郎、女将さん、熊さんや若旦那、・・・泥棒から狸、狐まで登場します。江戸時代は、武士、町人、職人、農民、漁師、農民と身分が厳格に分けられていて典型的な生活があるように歴史では教えられていますが、落語の中では演じ分けられたそれぞれのキャラクターとして一人一人個性的に演じ分けられている。落語で描かれている世界は暖かく、懐の深さを感じますが、縦割りの支配できっちりしてるかと思えば、裏で庶民は結構自由に繋がることができていた様で規制の目も届かず、支配と自由はコインの裏表の様な関係だったそうです。水野忠邦が劇場に対する規制を厳しくしようとしたとき、町奉行所地内で二百以上の“寄席”があったことでもわかるように、既存のしがらみのネットワークから離脱することができる空間が沢山あって、こうした既成概念から自由に離脱できる場があると、新しい考えが頭に染み透るのだとも言っています。こうしたゆるい「パブリック圏」の存在が、落語(もともと語り継がれた落とし噺)や俳諧、おそらく浮世絵なども広まった背景としてあるのではないでしょうか。自由な創造力の例としては「石返し」や「禁酒番屋」(柳家小さんバージョンが好きです)などは不良侍に町民が仕返しをする話ですし、「たがや」(古今亭志ん朝バージョンが好きです)などは町民が物のはずみとは言え旗本を斬ってしまう話です。おそらく本当にあった話ではなく面白く脚色された話だと思いますが、今風に言えば表現の自由度は高かったと言えるのではないでしょうか。

これからの季節は「青菜」「かさご」「舟徳」などがおすすめなので是非興味のある方はYouTube などで聴いてみてください。

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