🎶稲村ヶ崎は今日も雨
海啼く南風
砂にまみれ見つめ合った
手をつなぎ泳いだ
そんな過去のほうが好きだよ
飛び立て真夏の大空へ
輝け波しぶき、Woo..
いつも僕をそばにおいて
二度と離さないで
あの日に戻れたら
走りくる影は明日への追い風
永遠に見果てぬ夢
終わりなき夏の情熱の物語
惚れたよ君が魅せたドラマに乾杯
さよなら君がくれた未来に乾杯
「君こそスターだ」2004年サザンオールスターズ49作目シングル
ちなみに歌詞では「稲村ヶ崎」となっていますが、これは歴史的用法や国の史跡の名称に使用し、地名としては「稲村ガ崎」となっている。
今日もではないのですが、今日の稲村ヶ崎は雨でした。稲村ジェーンなどサザンオールスターズの曲で知っている人も多いのではないかと思いますが、歴史を調べてみると新田義貞が太刀を投じて潮が引き鎌倉に攻め入った伝説以外にもいろいろあることがわかりました。
奈良時代の鎌倉には「見越しの崎」あるいは「御輿の崎」「神輿の崎」と呼ばれる地名があったことが知られており、万葉集に
鎌倉の 見越しの崎の 岩崩(いわくえ)の 君が 悔いゆべき 心は持たじ
と詠まれています。この地名がどこを指すのかについては、長谷の甘縄神社の裏山という説と稲村ヶ崎という説があり、確定していないのですが。しかし、岩崩の名所として知られていたならば、稲村ヶ崎説が有力となっています。令和という元号は万葉集を由来としているそうですが、1200年以上前の最古の和歌集に詠まれていると思うと不思議な気がします。
さらに第二次対戦中には伏龍隊という大日本帝国海軍による特攻兵器の「人間機雷」の基地があったそうです。伏龍とは潜水具を着用した兵士が浅い海底に立って待ち構え、棒付き機雷を敵の上陸用舟艇に接触させ爆破するという特攻作戦のことです。航空機による特攻作戦はすでに実施されていましたが、予科練の生徒たちは乗る飛行機がなくなり余剰人員となっていたため、その人員を活用するために考案された兵器の一つです。装備に多数の欠陥が存在し、訓練だけで多数の死者を出しましたが、それでも最後の砦という位置付けは変わらず、訓練は強行されています。米軍の本土上陸なく終戦を迎えたため、伏龍が実戦に投入されることはありませんでした。訓練中に数多くの死者を出しながら準備が進められていたことに唖然としますが、こうした事実があったことを忘れてはならないと思います。
今回は3枚ほど写真を撮ることができたのでご覧ください。
1️⃣ウミネコ
2️⃣イソヒヨドリ
3️⃣雨の江ノ島(稲村ヶ崎より)