時は寿永3年(1184年2月7日)、摂津国一ノ谷(現在の神戸市須磨区周辺)、平家は海と山に囲まれた天然の要害に布陣し、背後には船を控えて防御を固めていました。対する源氏は源範頼が正面から攻撃、源義経が別働隊を率いて奇襲を計画。義経は「馬も人も通れない」と言われた急峻な鵯越えの断崖を選抜部隊と共に下り、平家の背後を突き、完全な不意打ちを受けた平家は混乱を招き組織的な抵抗ができなくなり、敗走して拠点を四国屋島へ移すこととなります。いわゆるこれが「鵯越の逆落とし」と言われ、この戦いは源平合戦の趨勢を決定づけ、最終的な壇ノ浦での平家滅亡へとつながりました。この戦いに登場する平敦盛の最後の逸話は「平家物語」に描かれ、後世の能「敦盛」などに受け継がれています。ちなみに「鵯越」という地名は、ヒヨドリが春や秋にこの山を超えて渡ることから名付けられたとされている説が有力なようです。今はハイキングコースや歴史散策の名所になっているそうです(機会があったらぜひアマチュア写真家への散歩道で行ってみたいと思います)。
今回も近所の緑地公園へ行ってきました、かなり寒い日で公園には人影はあまりなかったのでチャンスかな、と思ったのですが野鳥の鳴き声があまり聞こえず、あまり活発に活動している雰囲気がありませんでした。残念ながら今回はヒヨドリのみの写真となってしまいましたご覧ください。