日本の思想

2021年12月17日 08:51

「日本の思想」は日本の政治学者、思想史家で東京大学名誉教授も務められました丸山眞男さんによって執筆され、第1刷が1961年に岩波新書から発行されています。Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳと4つの章に分かれており、Ⅰ、Ⅱは論文体、Ⅲ、Ⅳは講演体で書かれています。(Ⅰ)日本の思想と(Ⅱ)近代日本の思想と文学は論文体で書かれており内容はかなり難しく感じました。相当予備知識が必要とされていて、まだまだ勉強不足の私には歯が立ちませんでした。ですが(Ⅲ)思想のあり方についてと(Ⅳ)「である」ことと「する」ことは講演体で書かれていて、こちらは60年後の現在でも変わっていない、日本人の考え方の根底にある思想のようなものを、分かりやすく鋭い視点で明らかにしています。

中でも注目した点が2点ありまして、(Ⅲ)思想のあり方、では社会をささら型とタコツボ型に分類し、日本では明治以降ヨーロッパの長い歴史的で文化的な伝統の根があって分化・専門家してきたものの、共通の根を切り捨てて個別化した形態を導入した結果、ヨーロッパの共通のカルチャーで結ばれたインテリ層というものが存在しないタコツボ型社会・組織になっていて、そうした弊害が現れていると指摘しています。これ・・・・・60年前の本です・・・・・今だに縦割り行政に弊害だとか、社会が2極化して分断されつつあり、互いに意思疎通がしにくくなっているとか聞きますが、一周回って元に戻ったのでしょうか?、60年間放置され続けたのでしょうか?

(Ⅳ)「である」ことと「する」ことにはこう書いてあります。自由であると信じている人間はかえって、不断に自分の思考や行動を点検したり吟味したりすることを怠りがちになるために、実は自分自身のなかに巣食う偏見からもっとも自由でないことがまれではないのです。逆に、自分が「捉われている」ことを痛切に意識し、自分の「偏向」性をいつも見つめている者は、何とかして、より自由に物事を認識し判断したいという努力をすることによって、相対的に自由になり得るチャンスに恵まれていることになります。制度についてもこれと似たような関係があります。民主主義というものは、人民が本来制度の自己目的化ー物神化ーを不断に警戒し、制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によって、はじめて生きたものとなり得るのです。

なかなかうまく内容をお伝えできていないと思うのですが、60年経っても全く色褪せないというか、むしろ今、読むべき本なのではないかと感じました。私は図書館で借りましたが、電子書籍化もされていますし(audibleで聞くこともできます)ぜひ読んでみてください。

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