新しい日本地図

2026年08月19日 15:32

「新しい日本地図」重永瞬著を読みました。著者の重永瞬氏は、京都大学大学院文学研究科地理学専修。専門は歴史地理学。縁日露店を中心とする近現代都市史について研究するかたわら、まち歩き団体「まいまい京都」でツアーガイドを務める。京都大学地理学研究会第7代会長。著作に「統計から読み解く色わけ日本地図」「Y字路はなぜ生まれるのか?」など。(表紙裏著者紹介より)

この本はこんな感じです
地域区分は、一見すると地域を「分ける」試みのようでありながら、実はそれと同じくらい「つなぐ」営みでもある。なんらかの共通点を持つからこそ、異なる地域が同じ区分として括られる。新しい地域区分を考えることは、はるか遠方のどこか、そしてそこに住む誰かに対して思いを寄せることでもある。日本列島のあちこちに築かれた地方ブロックの壁を飛び越え、遠く離れた場所との新たなつながりを見出すこと、それがこの本の目的である。(表紙裏内容紹介「はじめに」より)

鎌倉に住んでいるものとしては、鎌倉との意外なつながりのある都市を知りたくてCOPILOTに聞いてみました。意外なところでは、博多(福岡)で、宋との貿易港であった「博多」は禅僧の入り口であり、禅僧が最初に上陸する場所で、栄西や蘭渓道隆などが博多経由で鎌倉へ、また元寇では鎌倉幕府は博多を前線基地として重視、宋との貿易品は博多経由で鎌倉へ運ばれていたつながりがあります。金沢(石川)とは、北条氏の支配が北陸にも及び、禅文化は北陸にも伝播し、金沢の武家文化と融合。鎌倉は北陸武士の“出世の場“でもあったそうです。鎌倉幕府は、九州一帯を元寇の防衛で直接統治していたことで九州と意外に結びつきがあるようです。考えてみると前田家(加賀藩)、島津家(薩摩藩)、鍋島家(佐賀藩)、黒田家(福岡藩)、徳川家(尾張)、蜂須賀家(阿波藩)などが鎌倉に華族として別荘を持っていたらしく(黒田家は葉山)、九州出身の華族が多いようにも感じます。このあたりも関係しているかもしれません。島津家などは800年以上続いた家系でもと鎌倉幕府の御家人であったこともつながりの一つです。外国ではやはり宋との貿易の関係で、杭州(南宋の中心)とは、古都保存のノウハウ共有、観光政策の協力、文化遺産の共同展示、禅寺の文化交流などの文化観光交流を行っています(ちなみに杭州は上海の西、アリババの本社があるところです)。

人が自由に移動できるようになっても、文化圏は消えない。むしろ“移動の自由“によって文化圏はより鮮明になることすらある・・・文化圏は自然がつくった空気。鎌倉に吹いている風や空気について考えてみたいと思います。



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