鎌倉殿の13人

2022年12月22日 16:51

先週、大河ドラマの「鎌倉殿の13人」は最終回を迎えました。1年間大河ドラマを皆勤賞で観たのは、自分史上初です(それだけ日曜の夜8時には時間的に余裕があったと言えるかもしれませんが)。最終回はなかなか見応えがありましたね・・・・・「吾妻鏡」「百錬抄」「明恵上人伝記」「明月記」等、義時の最後については諸説ありますが、その一つの毒殺説を土台にしてああいう展開が最後に待っているとは・・・ここについては脚本の三谷幸喜さんの思いが込められているように思います。自分の生まれた地元・鎌倉を舞台にしたドラマで、改めて鎌倉が武家政権を樹立し、一時代日本の中心であったという歴史を実感することができたように思います。源頼朝流人時代から承久の乱とだいたいトータルすると45年間くらいありますが、平家との戦い、陰謀、謀殺、内部抗争、朝廷との対立など義時の生きた人生を軸にしていかに朝廷から権力を奪い、当初の朝廷権力を前提としていた地方政権から全国的な支配権を確立する全国政権となっていったかを、1年かけてじっくりと観ることが出来ました。義時の最後を観て思ったのですが、このドラマのテーマとして世代交代があったのではないかと思います。当初、鎌倉幕府と朝廷の関係は源頼朝と後白河法皇との関係だったのですが、終盤では義時と後鳥羽上皇に代わっており、北条の執権も時政から義時、そして泰時(まだ3代執権にはなっていませんでしたが)と45年の歳月を経ると世代が代わってきます。権力は腐敗すると言いますが、権力を次世代に引き継ぐのはなかなか難しいことなのでしょう。北条政子が義時に言った台詞の中で「私たちは長く生きすぎたのかもしれませ」というところがありました。自分達よりも若い世代は、違った見方で世の中を見ている・・・新しい価値観・ルールで動いていることを感じていたのではないでしょうか。権力の中枢にいながら、やや第三者的な立場で俯瞰して権力の行使を見ていた政子が、まさに権力の中心であった義時に言った言葉であることに意図を感じます。新しい世代の泰時は、鎌倉殿の個人的な資質に左右される専制体制から集団指導制・合議制を確立(義時の考えを受け継いで)、六波羅探題を置き朝廷の動きを監視して制御し、御成敗式目(それまでの律令が中国法を基礎としていたが、もっぱら日本社会の慣習や倫理観に則って独自に創設された固有法という点で日本法制史上特殊な位置を占める)を定めています。

なんとかしなければと思って懸命に走ってきたら、いつの間にか権力の中心にいた孤独な男・北条義時は最後に何を思ったのか?
「権力を手放すときは、全てを成し終えてからなどというのは叶わぬことか・・・・やり残して心残りがあるくらいがちょうどいいのかもしれない・・・・後は頼む・・・・」かもしれません。

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